思わぬ相場の真実が発見できる

コラム

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振り返ると…いろいろ(2008年03月20日)

僕は、まもなくこの世界に身を置き30年近くになるのかな? 1979年に証券界に入社し第二次オイルショックを経験したのかな? 当時は日本石油が2480円だったと思うけれど、帝石と共に資源株が賑わっていました。 その後、日立が200円から1000円まで急騰するのですね。たしか…是川銀蔵なるおじいちゃんが住友鉱山で大儲けし、二年連続の高額納税者第一位の座を射止め、彼は息子が癌にかかった為に、「OH1」という臨床中の薬に夢を抱き持田製薬を買うのですが…薬も相場も夢で終るわけです。その当時、プロスタグラジンと言う物質から様々な薬が出来ると言う事で小野薬品が大変な人気になりました。

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1987年の2月にNTTの上場が機に日本中が株式ブームになりました。この当時、僕は法人担当のペイペイ社員でしたが、山形共済連から1000株の成り行き注文を貰ったことを覚えています。当時はすごい人気で大手証券は買いを自粛していたのです。あれからブームが続き澄田総裁は円高ばかりに目を向け超低金利政策が続き、銀行は貸し出し競争に走るのですね。日本中がバブルブームです。地価が、あっという間に、買った土地が2倍、3倍になるのです。そうしてバブル崩壊です。銀行は不良債権の山を築き自己制御できなくなります。最初は住専だけだったのですよ。でも地価が下がり続け損失が拡大していくわけです。その後は思い出したくもない相場が続きます。買えば下がる下落相場の幕開けです。デフレを放置し政策を放置し、何もしない無策の政府と付き合ってきたわけです。日本人は辛抱が強いです。

1999年にIRNETは始まります。1998年の暮れ、パソコンを初めて買います。当時はネット環境が悪く電話回線を通じてネットに繋ぎ、必要な情報をキャッシュでパソコンに取り込み、回線を切ってから、またホームページを読む時代でした。1999年少しずつ読者が増えて、最初に参考銘柄に挙げたのが日揮だったと思います。推奨当時は赤字の会社でしたが原油価格は上がり始めていたのですね。故にプラントも…と考えての取り組みでしたが、しかし…買ってから、なんと1年待たされます。まぁ、たった1年ですから…ね。その後、ITバブルブームへ向かう訳です。ソフトバンクが198000円、光通信が241000円を付けるのです。しかし…劇的な崩壊でした。

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日本経済は再び色あせ、銀行の不良債権問題になります。私はずっと富士銀行を追い続けていました。1000円ぐらいだったかな? それから下がる、下がる。よく下がりましたね。富士と興銀と第一勧銀が一緒になり、「みずほ」に変わりましたが、なんと絶対に割らないと思った10万円を簡単に割り、58300円だったかな? …そこまで下がるわけですよ。みずほが倒産するなら日本は終わりだと本当に思っていました。

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不思議な事に悲観にくれた時から、見事な復活をとげ株式市場は上がるのですが…。2006年1月に日銀は金融政策を転換しライブドア・ショックが起こるわけです。眠れる獅子なんて言えば聞こえが良いですが、社会のダニですね。役人様の復権が始まります。そうして現在に至ります。今回、私は内需銘柄に拘っているわけですね。不思議です。何故かな?と思うことが良くありますが、理由はあるのですね。一つは教育です。もう一つは地方の再生ですね。何れもラインに乗っているのですね。贔屓目なのでしょう。きっと…日揮に、みずほか…。今回、東証一部単純平均株価は、既に2003年の安値308円を割り297円まで単純平均株価は下げているのですね。実は今回は3回目になります。1998年の暮れから1999年の春、そうして2003年のゴールデンウィークに次ぐ3回目の試練です。

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