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コラム

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自尊心より大切なもの…(2008年04月20日)

NHKの朝の連続ドラマ「瞳」のセリフに人間には「誇り」が大切だと言うセリフがありました。アイデンティティーと言う解釈かな? 独自性、自己認識、主体性などの意味だそうですが、少し違うかな? 先日、宮本輝の「流転の海」第四部の「天の夜曲」を読んでいたら、釈迦と提婆達多(ダイバダッタ)の話が載っていました。『釈迦は自分の弟子の一人である提婆達多を並みいる人々の前できつく叱り、汝は愚人なり、人に唾を食らうものなりと辱めたと言う。提婆達多は弟子の中でも優秀で、頭もよく、法話にも長け、才気も優れていたが、内に邪悪な野心も隠していた。釈迦はそれを見抜き叱ったと言う。』

この言葉を作者は主人公の松坂熊吾に「釈迦は提婆達多に、お前には自尊心以上に大切なものはなかったと言う事なのか、そんな事でどうして仏教流布と言う大業が成し遂げようか?と言う事を提婆達多に分かって欲しかった。」と解釈し、自分の子供の伸二に己の自尊心以上に大切なものを持てと教えるのですね。このくだりを読んで私は思いました。この2年ほど、読者からのお叱りのメールを頂き、自分の自尊心が傷付くわけです。この年になっても自分を否定されるのは、いい気持ちのものではありませんからね。

しかしIRNETを何故、続くるのか?と自分自身に問うわけです。自分は失われた時代を通じて時間を失いました。さっさと見切りを付け、株を空売りするか、転業すればよかったわけですね。しかし僕はじっと我慢をして日本株の復活を信じていました。日本人の資質は素晴らしいと今でも思っています。しかし株式市場に目を向けると、目先の利益に溺れるディートレイダーが多く、いつも株価をチェックしなくては駄目だという間違った先入観を持った若者も大勢いるわけです。ジェイコム男君の事を持ち上げるマスコミの責任ですね。彼は素晴らしいのですが、マスコミが宣伝する事で、私も、僕も、…と真似をする若者が増えましたね。その結果、株式の意味を理解せず、売り買いを繰り返すやり方が横行したように思います。

資本市場の本来の意義は違いますね。市場は必要とされる産業に資金を提供する場です。必要な会社だから株価が上がるのですね。そうして高くなった株を利用し、市場から資金調達をして益々その会社は栄えるのです。これは基本的な原理です。この原理が日本の市場に確立されないと日本は埋没します。既にどの国でも、資金の配分権を国に依存している国はないですね。共産主義の中国でも市場主義に目覚めています。日本だけですよ。拘っているのは…。市場原理の豊かな、栄える国になれば日本国民は潤う筈です。その為には投資家教育が欠かせないと考えています。豊かな市場が育てば、僕のように実力で豊かになろうと志す若者が、後生にたくさん出て来ても人生に失望しなくて良いですからね。私は30代から40代を自分の力量のなさで時間を失いました。だから、この後悔を未来の若者にさせたくないと思っています。

勿論、私にそんな力がない事も重々分かっています。だからユトリがあったのでビスタを興しました。まぁ、苦難の連続ですが情報はお金を出して買うものなのです。自分で市場の動きを理解できるようになるのは大変な時間と労力が掛かります。冒頭の釈迦と提婆達多の話も知らなかった人は大勢いたでしょう。私も知らなかった。しかしいい言葉ですね。「自尊心より大きな目的を持つ」か…なんて素敵な事なんでしょう。日本人は情報の価値意識が非常に希薄な国民だと思っています。だから機関投資家は生産業で稼いだ資金を金融業で取られ続けるのです。新聞も読まないし、本も読まない若者が増えています。モバゲータウンの小説でトップの「合コン」なんて言うネット小説の内容は非常にお粗末です。なんであんな小説が一番なのでしょう。このレベルが10代、20代の…程度の低い日本人の量産ですね。

こんな気持ちからIRNETを続けています。何故、私が新興株に拘るか? 新日鉄が銀行相手に優先株を3000億円も発行し、株式の持ち合いをする事を激しく批判しているのは、市場原理を無視する行動だからですね。新日鉄はいい会社です。官業から民業に転換した会社ですね。IHIの社長は株主総会で責任を追及されても辞任の意思はないと言ったそうですね。新聞には不正の事実は後で知ったことになっていますが、疑わしいと思います。資金調達する前に分かっていたなら、明らかに犯罪だし…東証も恣意的な裁量権を振り回していますね。ライブドアの判断基準から見ると、その後の日興證券などを含め、明らかに異質なものを感じます。金融庁はフェアな存在なのでしょうか? 既に大きく育った会社は、市場に対し自社株買いや配当を通じてご恩返しすべきです。そうしてその資金で新しい企業を育てねばなりません。これが市場のルールです。

市場を通じて日本という国を見ると、色んな思いがありますね。今の政策を見ると官の「奢り」が垣間見られます。産業再生機構の存在、カネボウのその後、ダイエーのその後をみると、本当に必要だったのでしょうか? UFJ銀行を三菱に統合させた強引な手法が、その後の金融行政に与えた影響を見ると…あの行為は日本経済を萎縮させる方向でしたね。最近の政策は、全てそのように感じます。サラ金法に建築基準改正法、金融取引法など…本来の趣旨に反する悪法というイメージかな? もともとバブル崩壊を自分達の政策責任として認めずに、誤魔化して民間の銀行に押し付けたのが事の発端だと私は考えています。みずほのバブル崩壊の処理がようやく始まります。