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コラム

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躁鬱(2009年02月22日)

一般的には1988年6月に朝日新聞の記事が発端で「リクルート事件」が起こりました。当時、私はある証券会社の法人担当で、公募株の販売は普通のことでした。買えば儲かる時代で、縁故で公募株を配っていました。この株式の上場は1985年10月です。発端は川崎市の助役への賄賂だったのです。リクルートコスモスの公募株を渡したのです。この背景には川崎駅前開発があったと言われています。

リクルート事件の内容は、兎も角、興味深い現象をふたつ覚えます。
一つは地検というのは実績が重んじられ、事件が起こったかなり後で立件するのですね。おそらく内部調査をするのに、時間が掛かるのでしょう。そうしてこの事件のように、新聞が発端になって地検が動いたようになっていますが、おそらく新聞記事の発表も地検のシナリオでしょう。つまり世論を誘導して事件を創作するのです。

法律と言うのは曖昧でケース・バイ・ケースなのです。担当官の裁量で、悪く言えば捏造できるのでしょう。一般常識から言えば公募株も儲かるとは限らず、当時は、たまたま経済環境が良く儲かったのでしょうが、儲かることの可能性が非常に高く賄賂性があったと判断したのでしょう。結局、事件は大物政治家や経済界の重鎮が逮捕され、竹下内閣が崩壊し、検察側の全面勝訴です。国の形はこのような形でモラルが維持されるのですね。
奇妙にもバブル崩壊は竹下内閣崩壊と共に起こりました。事件の当事者のリクルートの江副さんは2003年3月に懲役3年執行猶予5年で刑が確定しました。江副さんは事件の発端直後から、日本株のカラ売りをしたそうです。2006年の「ライブドア事件」は記憶が新しいので説明は良いでしょう。堀江さんはどうしているのか…。

一つの関心は、地検の「国家のモラル」の創作能力なのですが、もう一つが、何れも日本の経済界の転機に起こっている事件のように思うのです。両者の共通点は経済犯罪で、私は極めて事件かどうか疑わしい問題のように思えます。つまりサッカーの審判ならファールには違いないが、ゲームを面白くする為に見逃して、流しても良いプレーのように思えるのです。仮に見逃していたら…日本経済はどうなったのでしょう。
バブル崩壊後の「失われた時代」のあと始末の時間は少なかったかもしれません。ライブドアの事件は、発端後、多くの若者に失望感を与え、日本の活力が失われたように感じます。検察の国家モラルは何処に基準があるのでしょう。

凋落する日本の現状を思うと、果たして国家官僚の采配が正しい決断なのかどうか…。
本当にこのまま日本を任せ大丈夫なのかと疑念を覚えるのです。しかし1989年までは文句なしに素晴らしい運営でした。国民所得は上がり続けるわけですね。しかしその背景には少子高齢化の道は見えていたのです。しかし現実の対応は…。
単純平均株価が1989年に1579円だったのですが下がり続け、今では215円になりました。「IRNET」の前の「株式市場 日本を考える」のホームページは、食えない証券マンが株式市場を通じて、垣間見る日本の姿を綴るものでした。相場を当てるとか…そんな次元の話ではなく、今でも底流は変わりなく日本の現状を憂いでいます。

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