揺れる心(2009年06月07日)
先ほどまでビスタの原稿を書いていました。今回は随分時間が掛かりました。眠れぬ夜を過ごし、早く起きすぎた為にテレビを見て、今日は途中で昼寝を2時間ほどしました。今の季節は4時には空が明るくなりますね。既に6月ですからね。ようやくアルレギー性鼻炎も終わり、でも今年は長かったようです。何故かな? 薬は飲まなかったけれど、連休明けもぐずぐずしていました。かたるの失敗から3年を経て、色んな思いを考えていたら寝られなかったのです。決断とは難しいもので、政策の選択も難しいですね。日本郵政公社の社長問題も判断が問われています。私は市場原理主義者のような考え方をするようです。要するに規制もなく、自由に公正さを競えば、市場原理が最善を選ぶと言う考え方を良いと思うのですね。ところがそれでは、競争に敗れた人が不幸になるから制約がうまれます。
そこで共産主義的な平等な論理が生まれます。GMの破綻を見ても分かるように、人間は増長する動物です。妥協することをしませんね。常に、よりよい生活を求めます。向上心と言うやつですね。しかし方向性を間違うと全てを失う事になります。更なるステップを求めることは悪い事ではありませんが、間違った判断が命取りになります。GMの要求は妥当なものだったのでしょうか? 退職後も現役と同様の医療保障などを求め、会社に負担を強いました。溜まり重なった疲弊の蓄積で、制度疲労を起こしたようにみえます。
しかし100億円ほどの報酬が妥当だとする金融の世界も異常な光景です。会社の利益は1000億円単位のものに膨らみます。1兆円なんて例もあります。なら1%程度はいいのではないか?と言う発想です。確かに金融はアイディアにより利益が生まれます。金利が上がる、原油が上がる、不動産が下がるなどの思惑が当たれば大きな利益を得られます。一所懸命に作業をして1日1万円の世界とは違います。その為に必死になって時代の先を考え、あらゆるデータを収集します。しかしどんなに完璧だと思っても、予期せぬことは起こります。ここで起こった結果に対応する力が問われます。
サッチャーは金融改革で英国を成長軌道に乗せました。しかし行き過ぎた金融拡大が限度を超え問題が起こると、サルコジのような批判の渦の中に落ちます。日本でも小泉改革が否定されていますね。もともと日本は保守的な島国根性の国民性があり、現状維持を望みます。世界情勢を考えずに限られた範囲で生延びる知恵を磨いてきました。村八分なんか一つの成果でしょう。そのような制度の為に秩序が保たれます。しかしネット社会の到来により、知らなくても良いカラクリが次々に明らかになり、矛盾が追及されます。その為に混乱が起こっている様子です。バブルの後遺症の反省で、15年の歳月が失われ、反省から構造改革路線がスタートしました。終身雇用や年功序列と言う日本のよき時代が制度疲労を起こしたのです。その為に、よき時代を親しむノスタルジー現象が昭和30年代のブームに繋がりました。
当然の揺り戻しが2006年から起こりました。改革はくたびれます。現状破壊する為にはエネルギーが要るからですね。しかし成長が戻れば必要悪に思える改革は頓挫します。それが一連の株安(金融危機)と相乗効果が発揮されました。故に2003年の安値を割ったのでしょう。決断は難しい。しかし再び日本は派遣問題に火がつき格差拡大の錦の旗印のもとで失業が増え始めています。競争に敗れ中国に生産拠点が移り日本には空洞化現象が生まれましたが、雇用形態の変化でどうにか雇用が維持されました。しかし日本に覚悟がなかったのでしょう。その為の揺り戻しがグッドウィルなどの現象に繋がりました。おかげで市場原理のキャノンが槍玉に上がり、今回の金融危機により再び派遣などの契約社員問題が起こったので、企業は生産拠点をこの機会を利用し、海外に移し始めています。はたして雇用は維持できるのでしょうか?
予想通り事業者金融の問題が世に出てきます。SFCGなどの業者問題は、何故起こったのでしょう。理論的には正しいと思った厳しい規制は、世の中に混乱を生みます。江戸時代の徳政令は、世間を恐慌に導きました。難しい決断です。どちらに政策をふるのか? 小さなさじ加減が、多くの命を奪うのです。自殺者が多いのも社会は安定していないからでしょう。社会に公正さがなくケース・バイ・ケースの対応を続けていれば、やがて社会は疲弊します。どちらが正しいか、やって見なくては分かりません。難しい選択を日本は迫れています。西川さんの問題はその一例ですね。僕らはどちらを選択するか? 株屋は常に売りと買いのはざまに心が揺れています。