墓参り(2009年07月12日)
今日は初めておじいちゃんの墓参りをしてきました。
既に父も他界し、東京には田園調布に住んでいる叔母が一人いるだけです。その叔母は89歳になり、まもなく誰も僕の父の小さな頃の話しを知りませんから、叔母さんが生きている内に、先祖の墓参りを兼ねて話しを聞きたいと思い電話をしたのです。残念ながら、叔母は出かけるとの事で…お寺の名前を聞いておじいちゃんの墓参りだけ行って来ました。
おじいちゃんの名前は米吉と言い、か称との間に長男の一良、長女のみよ子、そうして叔母のとみ子、二男の次郎、三男の秋造、四男の金冶の合計6人の子供をもうけました。しかし昔の話で長男、二男と長女は早くに亡くなり、私が物心付いた時には、とみ子、秋造、そして私の父の金治の三人しか居ませんでした。この米吉は戸籍によれば、文次郎とときの子供で、長男の金五郎が死んだので二男の米吉が家督を継いだようです。
東京府と呼ばれていた時代の話で住所は荏原郡でした。その後、東京市大森区になって石川町となっています。更に変更され雪ヶ谷町712番地なっていますね。どうも百姓をしていたようです。米吉の嫁であるおばあちゃんは、田中長助とみきの次女で、か称と名前が付けられたようです。鵜の木の「光明寺」と言うお寺が、菩提寺だそうです。下丸子から歩いてすぐです。
ビックリしました。ずいぶん立派なお寺でした。理由は環状8号線が通った時に買収されそのお金で立て直したようです。お墓の多くも昭和45年に移されたようです。お寺に入ると直ぐにお墓の場所が分かりました。住職は留守のようですが奥さんが居られ、色々話しを聞きました。今では叔父の秋造一家が墓を守っているのでしょうが…親交がなく、良く分かりません。
小さい頃、親戚がいた九品仏まで足を伸ばしました。むかしここに金鮨と言うすし屋をやっていたのです。東京へ来る時は良くこの家に泊めてもらいました。その度に、小さい頃、遊んだ九品仏(浄真寺)もみてきました。遠い昔の話です。7月13日、14日は東京ではお盆です。東京のお寺はお花も線香もみんな売っていますね。びっくりしました。
この九品仏は今では観光名所になっていますね。参道に入る脇に手打ちそばや庵があります。美味しかったけれど、少し価格が高めかな…手打ちのせいかな? せいろが735円で、とろろそばが1050円。普通かな? 微妙な価格です。
先祖の墓参りも、なかなか面白い発見です。もっと先まで分かれば面白そうだけれど…。昔の人はどんな暮らしをしていたのかな? 残念ながら一族が没落して、近くに住んでいるのは田園調布の叔母さんだけ。みんなちりぢりです。一族で成功者が出れば、何とか先祖の墓も守ることが出来るのでしょうが…うちみたいに、親戚がばらばらで地方に行って、代が変わると最後に墓はどうなるのでしょう。