思わぬ相場の真実が発見できる

コラム

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お疲れ様…(2009年11月01日)

金曜日は最後の先輩が業界を去りました。
彼女との出会いは1989年11月に上京して初めて外務員になった時です。
そこの証券会社に10名ほど歩合外務員が居りました。その時の仲間です。当時、僕はお客さんが居らず、毎日、新規開拓の毎日です。会社に出社して朝の様子を見て外出して名刺を毎日100枚程度、配っていました。1989年の暮れに日経平均株価は38915円の高値を付けます。それから一度も上回らずに株は下げ続けます。

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最初の証券会社には、僕は6年ほど在籍しました。
しかしノルマが果たせずに会社を変わる事になりました。そうして今の証券会社を、この先輩から紹介していただいたのです。先輩はその後もその会社に居り、途中、会社の都合で子会社に行かれました。その後も彼女とは時々顔を合わせる程度だったのですが…、人生は分からないものです。1年前に彼女は、またまた会社の都合で支店閉鎖により僕のいる会社に来る事になりました。そうして、また一緒に働きます。この縁は奇妙なものです。偶然の繋がりといえばそうですが…

彼女の出身は日興証券です。
この激動の証券界でよく外務員としてやってきたものです。当時の先輩は9人いました。僕を含め10人ですね。現役の最中に病気で亡くなった方も居られましたが、多くはノルマが達成できず会社を変わらざるえなかったのです。そのなかで彼女は最後までノルマを果たし続け、今回、引退されました。話しを聞くと昭和35年にこの業界に入ったとの事です。この年代で大卒の女性はかなり珍しいのでしょう。当時は日興証券だけが大卒の女性を採用していたらしいですね。

僕らの業界は女性の人でも立派な成功者が居られます。
GSにはアビー・コーエンやマリア・フィオリニ・ラミレスなど…ただ日本では独立される方は少ないのです。この相場の中でも成功して辞められる人がいるのですからね。僕は多くの先輩に色々教えていただきました。結構、生意気な方なのですが…可愛がってくれる先輩も多くいます。証券マンとして日本を見るとやはり色々無理な面がたくさんありますね。株価と連動して予算編成を見てもわかります。こんなグラフを発見したので上の株価と比較しながら考えて下さい。先輩、長い間、お疲れ様でした。
出来れば僕も証券マンとして継続できれば良いのですが…果たしてどうかな?
(下のグラフをクリックすると財務省の大きなグラフ画面に飛べます。)


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