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ビスタからの原稿2(2009年11月29日)
この歳になって歴史を勉強するとは思ってもみませんでした。日本史についで、今度は世界史です。何故か? 1989年のベルリンの壁崩壊から東西冷戦が崩れ、中国の鄧小平が「富める者から豊かになれ」と市場原理を導入したように、旧東側諸国が次々に市場経済化を果たし、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)が躍進します。前回のレポートでは1989年のベルリンの壁崩壊から2003年のみずほの増資までの14年の歳月が1853年のペリーの来航から1867年の大政奉還までの時間と奇妙にも一致し、しかも調べると現代社会の流れと良く似ている事に気付いたのです。それと同時に産業革命時のヨーロッパの時代にも似ているように感じています。
イギリスでは絶対君主制(封建国家)が、ピューリタン革命(1649年)・名誉革命(1689年=これらを総称して市民革命と呼ばれる)により崩れ、資本主義への近代国家の道を歩むのです。この時代のオリヴァー・クロムウェルは日本の松平定信のような厳格主義だったらしく、庶民の楽しみの演劇などを禁止したそうです。年代はだいぶ違いますが…、実はこのような下準備がイギリスにあり、産業革命がイギリスで発展したといわれているようです。フランスのこの時代は、まだルイ14世(ブルボン朝)の時代ですからね。このあと100年ほど後に、フランス革命(1789年)が起こります。強い組織だった故に、フランスは産業革命の波に遅れるのでしょう。まるで今の日本のようにも感じます。
18世紀の後半から産業革命は始まります。伝統的な農業社会が工業化されていくのが産業革命で、人々の生活様式や価値観が、技術革新により大きく変わるのです。最初は綿工業の発達から始まります。この頃、ノーフォーク農法と言う冬の家畜飼料としてカブの栽培方法が開発され、農家では囲い込みが行われ労働者が溢れる農業革命が同時に進行します。更にジャガイモの栽培(同じ耕作面積で小麦の4倍の人が養える)が盛んになると、溢れたアイルランドの人も工業化の人材を支えていきます。一番大きな事は7年戦争などで、イギリスが世界商業の覇権を握り、広大な植民地を形成し、自国と西アフリカ、カリブ海や北米南部を結ぶ三角貿易によって巨大な利益を得たことが産業革命の資金源を支えました。
イギリスの産業革命は、前半の軽工業化とスティーヴンソンが試作した蒸気機関車の鉄道整備などによる後半の重工業化へと変化しますが、1850年前後に産業革命は完成されたと云われています。ロンドン万国博覧会が1851年です。ハイドパークに作られたクリスタルパレスは、パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)を象徴するものだったとか…。その後のフランス・パリ万博(1889年)のエッフェル塔のようなものなのでしょう。やはりイギリスに比べかなりフランスは改革が遅れているのですね。ふと…思ったのですが、この記事を書いている今、2010年に行われる上海万博の事が頭をよぎりました。万博は覇権国家(力の証と言う意味で…)の象徴なのでしょうか?
イギリスのトインビーと言う学者が「産業革命」命名したとか…
彼は産業革命により生じた都市のスラムの生活に見られる貧困や病気、犯罪などの社会問題を救うべくセツルメント運動に取り組みますが、志半ばで31歳の若さで死ぬのですね。「格差の時代」と言われ始める日本の現状も、当時のイギリスに似はじめているのかもしれません。インターネットを始めとする携帯電話などの通信革命は、あの当時の鉄道網整備に似ているように私は感じるのですね。
1705年 ニューコメン、火力機関の開発
1709年 ダービー、コークス製鉄法の開発
1733年 ケイ、飛び杼の発明
1764年 ハーグリーヴズ、ジェニー紡績機を発明
1769年 ワット、蒸気機関の改良に成功、アークライト、水力紡績機の特許獲得
1776年 アメリカ独立宣言の発表
1779年 クロンプトン、ミュール紡績機を発明
1783年 パリ条約
1784年 コート、パトル製鉄法を開発
1785年 アークライトの特許取り消し
1787年 カートライト力織機を発明
1789年 フランス革命の勃発
1796年 ジェンナー、種痘接種に成功
1804年 ナポレオンの皇帝就任
1807年 フルトン、汽船の発明
1814年 ウィーン会議、スティーブンソン、蒸気機関車の試運転に成功
1825年 蒸気機関車の鉄道開通(ストックトン・ダーリントン間)
18世紀のヨーロッパ各国では啓蒙思想が広まって新しい社会の息吹が聞こえていました。
自由と平等を掲げ独立したアメリカ合衆国は、他国に先駆け近代国家へ進みます。一方、プロイセンやロシアでも絶対君主制の枠を超えるものではありませんでしたが、啓蒙専制君主が誕生しました。
当時のフランスはブルボン朝による絶対君主制の時代でルイ16世の時代です。
贅の限りを尽くすマリー・アントワネットの話は有名ですね。そうしてフランス革命が起きます。1793年1月にルイ16世が、10月15日にアントワネットも死刑判決を受け翌日、ギロチン刑を執行されます。その後、フランスは1795年に二院制の議会と5人の総裁による総裁政府が共和政維持と社会秩序の回復を目指します。
この時代にナポレオンが誕生します。1796年に総裁政府の総裁ポール・バラスの愛人のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚するのです。これによってイタリア方面軍の司令官に抜擢され、皇帝になっていくのですから歴史は面白いですね。この時代の指揮官は余程のつてがないとなれませんからね。
このような世界背景のなかで幕府は開国を求められていきます。1767年から1786年が田沼時代(徳川家治)、1787年から1793年が松平定信(家斉)その後、徳川家斉の大御所時代が続きます。そうして水野忠邦の天保の改革が1841年です。ヨーロッパで市民革命が起こり、産業革命が起こり、時代が変化していきます。1810~1820年代にかけてラテンアメリカやギリシャで独立運動が展開され、フランスでは7月革命(1830年)2月革命(1848年)などが起こる時代に、ペリーが来航します。1861年からアメリカで南北戦争が起きます。ようやく日本も長い鎖国社会から、その渦に飲まれて、ついに開国を迫られ体制転換が起こります。
欧米との技術力の違いを見せ付けられ、日本も岩倉具視率いる使節団が欧米に派遣されます。それ以後富国強兵路線をひたすら走るのです。19世紀の前半は時代が著しく変化する時です。民衆は現状に不満を抱き改革を叫び、革命が起きます。価値観がどんどん変わるのですね。鉄道についでグラハム・ベルが電話機を発明するのが1876年です。やはり鉄の作り方が簡単になり、鉄道網が整備されたことは大きな事ですね。この時代を大きく進めたのでしょう。
ここまでで二つの大きな事を学びます。技術革新が時代を進めGDPを押し上げる。その為にはお金が必要で、清貧思想などは必要ないのです。むしろ確立された社会構造は新しい時代の妨げになりました。フランスの例を見れば明らかです。ルイ16世などの強い君主制が進歩の妨げになりました。疲弊する財政の環境も似ています。今の官僚社会主義の形態は、特別予算などの扱いをめぐり混乱している様子と似ていますね。郵政民営化などの改革への反対勢力の力関係と似ています。昔を懐かしむ昭和30年代の夢のある時代への黄昏と新しい時代への戸惑いは、産業革命じのフランスと現代の日本の関係は似ているように感じます。
もう一つ驚いたのはイギリスの都市のスラム化です。労働環境が整備されていないこの時代の労働者は、低賃金で過酷な労働条件下で働かされ、貧困と病気が蔓延します。更に暴力が…、日本ではフリーターなどが生まれる環境下は、後世の歴史の中で産業革命時と比較され「格差の時代」と呼ばれるかもしれませんね。産業革命と通信革命(IT革命)は非常に良く似た背景を持ちます。軽工業から始まった技術革新は重工業へ変化し、今の時代はIT革新だけでなく、バイオ分野など遺伝子工学が非常に変化していますからね。
さて、いよいよ次回は、何故、私が新興株にこだわり、この「時代の背景」をビスタニュスの最初のレポートに選んだか? その理由をこれまでの歴史観と合わせ、相場の流れを中心に述べて行きたいと思います。株式相場は歴史の中で生まれるのです。次回はその理由をテーマに取り組んで行きます。