時間の流れ(2010年06月13日)
今週の日経新聞(6/9)の朝刊に堺屋太一さんが経済教室で「国民との距離を縮めよ」を書かれておられます。この21年半の間に16人の総理大臣が変わりました。この4代の首相の在任期間は僅か1年です。同じような時期が日本の過去にあったそうです。幕末の1853年から幕府の機能が停止する14年間に老中に任命された人は40人で平均1年2ヶ月だとか…。更に昭和10年代の内閣制度が確立されてから2.26事件までの50年間で31の内閣ができ20人の首相が生まれたそうですが2.26事件以降は一次近衛内閣が唯一の例外で、他の内閣は1年未満が続いたとか…。
同じような時代が過去にあったそうで、その背景は官僚支配による規制強化だそうです。第一次近衛内閣時代は臨時資金調整法、国家総動員法が、平沼内閣や阿部内閣時代は米穀配給統制法や国民徴兵法。安部から福田、麻生、鳩山などの時代は、私が批判した建築基準法の改正、この運用により業者は壊滅的な打撃を受け、仕事のやり直しが増えて時間を浪費しています。金融商品取引法…サラ金業者は1989年の1万8千社から4千社に減り自由業者の資金提供を閉ざしました。飲酒運転の規制強化も地方都市の飲み屋を壊滅的な打撃に追いやり、目下進行中の労働者派遣法の改正などは、日本の労働市場をなくしています。だからホンダは海外に向っています。日産も同じですね。要するに官僚支配から脱却しろと堺屋太一は結んでいます。
最近、私が官僚批判をやめたのは、一つは彼らを虐めるとしっぺ返しがあるからです。日本国民が自分の責任を役人の責任にすればするほど、コンプライアンス(法令遵守)強化の法律が出来ます。飲酒運転強化などを例にみれば一部の被害者を弱者として利用して、さも飲酒運転した人を悪者にして、それをやめさせる為に法律を強化する清貧思想です。確かに悪いけれど…その弊害との価値観はどうなのでしょう。その影響の下で地方都市の多くの飲食店はつぶれ、倒産し自殺に追い込まれる弊害を考えたことがあるでしょうか?
今回の日本振興銀行の検査忌避問題も金利規制強化によりサラ金が倒産した弊害です。商工ローンは悪質でしたが、そこ追いやる規制強化の法律があったのです。借り手も貸し手も納得してお金の貸し借りをしているのに、マスコミは一部のサラ金地獄を取り上げて法律強化を援護しました。しかし…1万8千社から4千社にへった従業員は職を失い、空室になった貸しビルはどうなるのでしょう。短期資金を借り入れ出来ずに倒産する弱小の中小企業があり、その背後には自殺者が増えます。
私には今回の振興銀行の問題もやりすぎかな?と思います。三和銀行と金融庁は双日などの債権が正常かどうか問われ、意見対立が生まれました。借り手も貸し手も大丈夫だと言いましたが、金融庁は違法貸し出し基準だから、不良債権として処理しなさいと言う認識でした。そうしてその資料を隠したと言うことで、三和銀行は倒産させられ三菱に吸収されました。当事者同士は納得しても、検査するお上の裁量で過大評価され処分されるのでしょう。実は以前も言いましたが、仲間の歩合セールスが一任勘定取引で処分を受けました。お客様との契約はなかったのですが、契約文章を作らされ処分されたと聞きます。本当かな?と思う事例を聞き及んでいるので、こんな考え方になります。
閉塞感が溢れる社会の背景は国民が役人にたよる構図が背景にあるから、なんでもかんでも役人が悪いと言う空気なのでは?と考えるようになっています。生きていれば色んな事故に巻き込まれます。子供を不幸な事件で失うこともあります。しかしその怒りを整備体制にもっていくのではなく、やはり自分の責任なのでしょう。人生の運と言うやつでしょうね。今の閉塞感が溢れる社会は時代の流れで仕方がない。最近はそんな風に考えています。このくらい時代の中で挫けずに、ただひたむきに頑張ろうと思っているだけです。しかし努力しなければ確実に運に見放されます。少なくなった運を掴む為に、一所懸命に頑張ろうと考えています。
もう一つ、長くなりましたが時間の概念を最近考えます。
先日、近所の高級スーパーでの出来事で、急いでいたら前のレジを待っていた人が順番を譲ってくれました。この現象だけではありませんが、お金持ちは時間にユトリを持っているように感じます。同じ生きている時間ですが、貧乏人はいつもセカセカしています。流れる風を感じ、見上げる空の色を感じ生きること。足元の小さな花や虫の命を感じることは素晴らしいことです。自然は美しいですね。株も同じでしょう。目先の僅かな1円2円で揺り動く心は、なんて些細なのでしょう。私は現在、来年に華が咲く銘柄を手掛けていますが、ユトリある行動が夢を与え、意外に早く実りを享受してくれそうな予感があります。