1億総クレイマー社会の日本(2011年07月17日)
嘗て僕自身も時代の流れの鬱憤を、官僚構造に向け責任転嫁していた時代があったから、偉そうに言えませんが…今の原発批判を巡る世情は2006年の頃のカタル君を見ているようです。あれから5年で、僕は悪く言えば、諦め、失意のドン底で、のた打ち回って居るのでしょう。美化すれば成長したのでしょうか? 世情批判をしても何も変わらないし、自ら行動するしかないのですね。経団連会長の住友化学出身の米倉さんは手厳しい菅政権批判をしています。僕も彼の主張は良く理解できますね。原発事故はある意味で面白いですね。
きっと初めてじゃないかな?
1985年が日本の曲がり角だと考えているカタル君、あの時から日本の優秀な官僚組織が機能しなくなりました。自分の方針と言うものを自ら否定し、方向転換はできませんからね。1985年の曲がり角論の定義を話していると長くなるので省きますが、要するに迷走を続けています。でも日本を支える組織図が、完全否定されたのが東電の処理方法ですね。東電は経団連のトップ企業です。その意向が無視されたのですね。内部分裂ですよ。日産自動車のマーチのタイへの生産移転なんか比じゃないですね。
メディアの報道を見ると政府批判ばかりです。今日もセシウム汚染牛における農林水産省批判です。あいつが悪い、1億総クレイマーです。いつからこんなメディアの体制になったのでしょう? まぁ、昔から他人の痛みをネタに食ってきた業界ですが、モラルも何もありません。このモラルと言う概念は食えませんし、面白くありませんからね。道徳観は窮屈なだけです。規制と道徳観の欠如の関係は面白いですね。農家だって汚染藁を食べさせたらどうなるか想定できると言うものです。
相場で失敗したカタル君は色んな勉強をしました。僕の経験も貴重ですね。先ず、お客様のお金を飛ばしたことも悲劇ですが、それ以上にネットの見えない投資家の信頼を裏切りましたからね。本人は騙そうとしたわけではありませんが、結果は変わりません。結果が全ての業界ですから言い訳はしません。でもネット社会が一般的になり自己責任が増しましたね。これまでにあったかどうかわかりませんが、一応、メディアはフィルターを掛けてニュースを発信してきましたが、ネットは個人の感覚で動いていますからね。モラルの個人差は人ぞれぞれで、非常に違います。
カタル君の生き方は常に縛っていますね。人から見れば、馬鹿みたいに行動を制限することがあります。多くの皆さんは誤解をしていますね。情報と言うのは自分の判断材料の一つなのです。自分自身が、自らの力でフィルターを掛けて、情報を利用するのですね。情報に利用させるようじゃ駄目なのですね。ネット社会と言うのは自己意識の高まりを同時に求められているのです。発信する自由があるなら、その情報を選択する自由も自分が握っているわけで、最後は自分自身の選択なのですね。
一例を掲げましょうか?
カタル君は銘柄選択でよく間違えますね。会社側のIR予測を信じてその情報を前提に物事を考える帰来があります。ベンチャリもそうですがINDEXもそうですね。INDEXの狙いは間違っているとは今でも思っていません。相対する位置にDENAが存在し片方の銘柄は新高値ですからね。サイバードを買っていたカタル君の狙いは、携帯コンテンツの成長性でした。サイバードがMBOになり、その代用品として、当時、携帯コンテンツの雄だったINDEXを狙ったわけです。
新聞に、また発表されていましたね。
毎年、営業黒字で特別損失を計上しています。来年は黒字転換すると…何年、嘘を繰り返している事か? 日本振興銀行は最後の駆け込み寺のイメージでした。今の日本社会では孫さんの時代の融資は絶対にありません。孫さんは起業に辺り銀行から無担保で1億円借り入れを興したそうですが、今の銀行界のルールでは背任容疑になり絶対に行われませんね。昔はありました。中山素平さんの時代は銀行マンが自分の自負で裁量権により企業を育てましたね。日本ではベンチャー投資の市場が未整備で、なかなか新体制へ移行できません。
今の日本社会は現場に裁量権がなくなったことが弊害でしょうね。日立改革の良さは現場に裁量権を復活させましたね。おそらくここが業績向上のネックなのでしょう。1億総クレイマー社会の日本は、そろそろ僕が辿ったように自分自身の責任を真摯に受け止め、打破しなくてはなりません。残念ながら浮上できないカタル君ですが、この底辺からの脱出を日々模索しています。一筋の光明が欲しい所です。