情報の価値観(2011年10月10日)
ようやくバーゼル3への批判記事を目にし始めました。景気が低迷しているときに銀行への自己資本比率規制は正しいのかどうか…。本来は銀行を全て政府保証にして監視下に置くのが正しいのではないでしょうか? (規制で縛れと言う意味ではありません。)グリーンスパンは現役の時代に金融デリバティブの弊害を見逃したのですね。東電の原発処理と同じで民間企業の規模では対応ができないからです。だから原子力の免責に関する法律が存在したのですね。その解釈を別の次元で歪めた為に、復興が混乱する福島問題。同じことが今回の銀行問題でも述べられます。金融業の利益や損失は大きく、経営者の地位は名誉職にして報酬は抑えるべきでしょう。ここに人々の誤解が生まれる原点があります。
金融デリバティブは果たして悪なのでしょうか?
僕はそう考えません。実際に組成したわけでもなく、仕組みを熟知しているとは言えませんが、アイディアは素晴らしいですね。リスク分散です。この仕組みにより本来は資金調達できない人が、資金を獲得できて行動を起こせるようになります。今回はこの金融デリバティブが新興国への投資を支え、人類の進歩を次のステップに早めました。逆にホームエクイティーローンの拡充で過剰消費と言う弊害も生みました。住宅価格の査定に「あそび」がなかったのです。競争激化の為でしょう。報酬に目がくらんだ輩が起こした現象を当局は抑えるべきだったのです。
効率的な資金運用を目指せば、リスクが高まるのは当たり前です。
今、世界中のアクティブなヘッジファンドは、ギリシャ国債やイタリア国債の保有率を増やし、パリバやドイツ銀行などの銀行株を買っていることでしょう。一つの賭けです。成功する確率と失敗する確率はどの程度なのでしょうか? でも指摘されている懸念が現実化する確率は低いのでしょう。逆に金融ショックのように、埋もれている現象は注意が必要です。その見極めは大衆の理解度でしょうね。要するに広がり具合です。
日本の失われた時代の停滞は、間違いなく金融行政の失敗にあります。不良債権に慄き、規制を強め、自らの首を絞めています。一方、お隣の中国はこの金融の仕組みを使い成長を続けています。土地本位制ですね。世の中の耐久消費財で一番、高価なのは住宅で、この魅力が経済の糧の一つになっています。時代が進み、現在は高度交通システムが発達し、GPS機能が使いやすくなり、複雑な計算を瞬時にこなすコンピュータ「京」も生まれています。循環型の廃棄物ゼロの資源再生可能型の未来都市の建設は、豊かな緑と野菜工場に囲まれ、効率的な生産システムを生むことでしょう。既に技術的な蓄積はたくさん存在しますから…あとは総合的なコーディネートする組織が必要です。本来は官僚が動く舞台ですね。
我が国の官僚機構は、いつからこんなに程度が悪化したのでしょう。未来計画も立案できないほど落ちた組織に、高い給料を払う必要があるのでしょうか…八ッ場ダムや諫早湾の干拓事業など…問題化する事業は、行政の混乱を示す事例ですね。意見対立は事前調査の段階で、論理的な正論が存在しないことを証明するものです。おそらく土木関係者が食うためにはじめた、意味のない工事なのでしょう。未来設計が出来上がっていれば、整合的な論破により反対意見を抑えることが可能なはずです。
未来都市の計画は、未だにスケールが大きすぎるのか…表面化していませんね。小手先論ばかりが先行し、司令塔が不在の様子です。予算がネックになっていると思いますが、政府保証債を発行し、日銀がメザニンローンを引き受ければ、信用力が増し世界中からお金が集まるでしょう。壮大な実験都市が生まれ、後世に残る文化資産になりますね。車の乗り入れを止めて循環型のエネルギー消費都市は、効率的な生産性を上げるでしょう。キャッシュレスにすれば犯罪は減り、税務署も必要なく、電子カルテをクラウドで整備すれば、重複する検査を省き、最低限必要な処方だけで健康が管理されます。運動量が足りなければスマートフォンで指摘し、運動を促し個人に合った健康管理がコンピュータの指示で行われる。
市場経済では、お金は生産性の高いところに流れます。そうして付加価値を多く生むところに集まるのです。要するにグローバル競争は付加価値を、どれだけ多く集められるかです。労働力の多くを必要とする組み立てなどの作業は、生産性が低いので低所得の国に流れますね。誰でも出来る仕事だからです。最も高い価値は感動を生む仕事ですね。芸術の分野です。ただこの世界は才能が必要です。残念ながら、折角、すばらしい作品を生んでも現世では評価されず、後世で見直されるケースもありますね。それほど…評価の基準は揺れる世界の話し。人間の一生を捧げても自分は自分自身を評価しているのに、世間に認められない不遇な生活を強いられることもあります。
おそらく失われた時代は、素晴らしい時間の流れで、この度の震災は日本にとって願ってもない絶好の機会なのかもしれません。
次のステップに欠かすことのできない時間的な空白は人々に考える時間を与え、行動に変化が生まれます。人々が持つ価値観の変化が多様化社会を生み、個性が出てきましたね。テレビ番組を見ていると、かなり色んなバリエーションが生まれています。今までの日本なら統一され画一的なものだったのですね。残念ながらニュースは、まだ画一化されていますね。視点が皆一緒です。情報に対する日本人の価値観が非常に希薄なのでしょう。芸術と同じで、情報の解釈は非常に大きな価値があります。最近、報道の裏側を紹介する池上彰さんの番組がありますね。一度ぐらい見たかな? なかなか面白いですね。
一つのニュースにも、その現象が、何故、生まれたのか? その背景は何か? これからその現象はどのような形に発展するのか? その対処方法は?
一連の情報から推理推測し、今後の行動を決めることは必要な選択です。自分自身が決めるわけです。真剣に行動していれば、何歳になっても自分の行動に迷います。好きな女性が現れ、その女性と恋に落ちていく。しかし家庭があり、家庭生活を選択するか? 新しい女性との生活を重視するかとの選択とか…。転勤の辞令が出て、その辞令を受けるかどうか…あるいは蹴って転職するかどうかの選択とか…。銘柄の選択もそうですね。下がり続ける株を持っていて、その銘柄を損切りして他の銘柄に乗り換えるかどうか…とか、それぞれ色んな選択があります。自分の下した選択に、責任を持たねばなりません。真剣に生きれば生きるほど、人生にはいろんな岐路があります。順風満帆なんて人生なんか、ないでしょう。
その重要な決断をするために、常にアンテナを高くして情報を集めておけば、選択肢が増え自分の行動の糧になるでしょう。カタルの意見など単なる市場の一つの見方ですね。流れが傾くこともあれば、逆流に飲まれることもあります。それぞれが様々な意見を持って行動すればいいのです。その為に「情報」と言う武器をどう使うか…この武器にどれだけの対価を払うか? 日本人はあまりに無防備ですね。島国のせいか、テレビの隠れた意図など気にしてない人間が大勢います。情報力が命の明暗を握ることもあるのでしょう。