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惻隠の情か…(2011年12月18日)
昨日は市場原理主義、所謂、新自由主義のフリードマンの考え方が正しいのかどうか?
疑問を呈しています。
市場原理主義は市場を通じて、効率的な資金配分を実現し切磋琢磨して成長して行こうと言う考え方だと認識しております。だからこそ、人間社会では欲を刺激して競争を促進させるやり方が正しいと言うのが、これまでの実験の結果でした。日本でも一時は共産主義的な考え方が正しいとする人間が大勢いましたが、共産主義は汚職が蔓延り経済が停滞し不平等が生まれるとの見方から、ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が崩れたことにおいて、市場原理主義が世界での共通認識として確立されたのでしょう。自由競争の環境を整備するために企業統治が問題とされるのですね。オリンパスの事件やブルドックソースの問題はこの環境を維持するために厳格に対処すべきなのですね。しかるに日本はブルドックソース側の意見を最高裁は認めました。つまり、あの判決は市場原理を否定したのです。だから株屋の僕は批判し続けました。2006年からの株価の下げは日本の間違った選択による結果だと考えています。
しかし昨日の日経新聞夕刊には藤原正彦さんが登場し「惻隠の情」を題材に震災の事を書いておりフリードマンの新自由主義を否定していましたね。おそらく今回の金融危機をこれらの考え方の人達は「それ見たことか…」とほくそ笑んでいるのでしょう。事実、藤原先生の雑感の中にもギリシャ危機の悲劇が新自由主義の犠牲者だと言う感覚で捉えられていました。僕とはずいぶん違う考え方です。市場原理主義は、常にこのような矛盾を探し叩くのですね。そうして是正を強いるのです。政策の矛盾がマグマのように貯まっている所には、合理的なギャップとの矛盾が存在し、そのギャップを叩くことが市場原理者にとって利益になるのです。休火山が爆発するようなものです。だからギャップを見つけるとそれを叩く準備をして、仕掛けをいくつか作ります。メディアの誘導は重要なパーツです。
あとは資金力ですね。散々に人々の心を、メディアを通じて洗脳するのです。そうして資金力を使って矛盾を叩き始めると、だんだんその矛盾が一般の人にも理解され、やがて是正に向けて行動するようになります。その行動を通じて常に効率的な社会を形成すると言う考え方が市場原理主義(新自由主義)の考え方です。ところが藤原先生は、全く別な観点で物事を見ていますね。
ただ今回の欧州危機のように、なかなか動かない現実の狭間で、市場原理が正しいと大きく主張すれば、どんどんその考え方の対立の中で犠牲になる人が増えます。だから市場原理と言うのは正しい考え方かな?とも考えますね。オリンパスの問題はある意味で「惻隠の情」の賜物かも知れませんね。前任者の失敗を庇う訳です。だから菊川さんは別に次元では素晴らしい経営者かも知れません。市場原理主義と相反する考え方の中の武士道の世界では菊川さんは英雄ですね。お家の大事をつつがなく収めた立役者です。皆さんはどう考えるのでしょう。