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2005年03月28日
大都市圏に底入れ感
先日公示地価が発表された。
私のイメージでは想定されるベストのシナリオではないかと感じる。ポイントは3面の地図である。2004年と2005年を比較すると天と地の差があることに気づく。2004年は図を見ればわかるとうり、上昇ポイントが銀座などのほんの一部の地域に限定されていたのである。横ばい~ほぼ横ばいの地域でさえほとんどなかったのだ。
が。。今回2005年を見るとその図は様変わりとなる。ほぼ横ばい~上昇した地域は東京のエリア全体だけでなく、近隣の千葉、神奈川にまで及んでいるのである。つまり東京全体で地価の上昇が見て取れる結果となった。(公示地価は1年くらい前のデータなので、現状を考えたらもっと凄いことになっているはずだが)
そうなった要因として新聞には
①REITや私募ファンドなど投資マネーが都心に流入したため。
②都心への人口の大きな流入が見られる。
③都心オフィス需要の回復
が上げられている。
まあ根本的には景気が回復基調になってきたってことが要因としては大きいとは思うが。。。。。
その反面、地方の下落はとまらない。
まぁそれでも下げ幅の縮小が見られたことは救いがあるが。。。。
これは以前にもメールで書いたが、1970~1980年代は地方の時代であった。都市移転なんて話もあり、現在の中央集権的な政治や行財政システムの抜本的な転換をはかり地方を盛り立てようと頑張った時代であった。「田園都市構想」と言うものもあり同様の趣旨を国家政策レベルで確認したこともあった。竹下内閣で”ふるさと創世論などというものもあった。例の地方に1億円ずつばらまいたやつだ。それで地方は不釣合いな体育館をたてたり、金の延べ棒を買ったりして、話題になったことは記憶に久しい。
竹下氏は
「日本に生まれてよかったなあという気持ちが、日本人どこに住んでおる人にでも起きてくるようになったならば、日本列島全体をふるさとにして意識するようになったら、ふるさとを愛する心は、すなわち国を愛する心にもつながっていくのではないか。」と言うていた。
でも結局は”地方交付税や国庫補助金の配分などがすべて”であり、地方の時代はなかなか多難な状況であった。結局じゃぶじゃぶの資金でドーピングをしていたような状況であったと感じる。
1980年代後半から1990年代前半は郊外の時代であった。TVのドラマは”金ツマ”全盛期だ。“金妻シンドローム”という一種の社会現象をも巻き起こした。少し遠くても一戸建て!というのが日本人の一般的な考えとなり、働くのは都内、住むのは郊外というのが理想のライフスタイルとなったのである。
1970~1990年はそういった意味で地方~郊外の時代であり、都心部は夜はゴーストタウンだったものだ。人の流れは都心から郊外~地方へと流れ、国家としても地方の時代を作ろうとしていた。。。。。。。。。。。。バブル崩壊。。。株価、地価が大暴落し始める。長い15年の始まりである。
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初めは外資系による、バルクでも不動産購入であった。マンションをまとめて何棟も買い叩いて購入したり、倒産したゴルフ場をまとめ買いしたりといった、ものであった。しかしここにはまだ値上がり期待といったものはなく、利回りベースで「ここまで買い叩いて利回りが高ければ魅力的であろう。」というものであった。ここにはまだ地価上昇の兆しはない。
が。。REITが上場し、私募のファンドが増加し、都心の不動産は利回りベースから優良物件を確保するという流れに変わる。不動産は”場所が命”だという流れだ。また2003年問題と大騒ぎされたオフィスの話は、結局都心にいろいろな企業を誘致することとなり、問題であったはずの話はいい結果を生み出すことになる。
また企業が減損会計などで放出した不動産や、企業の社宅や遊休地は売りに出され、ことごとくマンションになり、それがまた都心に人を呼び寄せる結果となる。”少し遠くても一戸建て”というライフスタイルから”近くて便利なマンション”というライフスタイルへと変わったのである。地方の時代は崩壊し、都心一極集中に時代に突入である。都心へどんどん人や企業が流入しはじめたのである。
でもこれは自然の流れなんだと思う。
人は仕事や資金のあるところに流れるから、どうしても一極集中にならざる得ない。それを無理して地方に配分していたのが、今までに日本であった。が。。。流れは完全に変わた。
大都市圏に底入れ感。。。これはそういった流れから判断して、今後ますますその傾向は顕著になるのではないかと感じる。
2005年03月14日
人生の勝ち組、とは
逆転劇の本質とは?という話を某誌に鈴木貴博氏が書いていた。なかなか興味深い話だったので、少し触れてみる。
彼はここ最近さまざまな局面でおこる意外な逆転に関して言及していた。勝ち組み、負け組みの逆転現象についてである。
負け組み、勝ち組みって言葉が最近反感を買っているという。その理由は
・人生に勝ち負けを持ち込む是非に対して
だけではなく
・かつて人生は勝ち負けだと考えていた人たちが反感を感じている。
のであって
・かつての負け組み、勝ち組みの立場が逆転してしまった、自分は負け組み
になってしまったのか?という現象が反感の影にある。
と言うてはるのだ。
かつての勝ち組みは地盤沈下した。(って言うている。)負け組みだと思っていた人や会社に立場を逆転され、かつてはライバルとさえ思っていなかった面々が今や勝ち組みと言われている。
勝ち組みって言う言葉への反感は、根底にそういった理由があるという。かつてのエリートは新興若手経営者に勝ち組みの座を奪われたって言うている。
今世間で勝ち組みって言われている人たちはどういった人たちなのだろうか?イメージを言えば
・若くしてITの世界で成功して何億~何百億円ものお金を自由に動かせる人(ホリエモン?)
・自ら事業をおこして成功した人
・単なるお金持ち(相続でもなんでもいい)
・人気芸能人やスポーツ選手といった有名人
など。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
これを見ると結局勝ち組みと称される理由は単に”お金をもっているか、持っていないか?”だけなんじゃないのかな?って個人的には感じる。
飛躍的に事業を拡大してたとしても、拡大期にありがちな資金ショートのような状況だったら、世間は勝ち組みとは見なさない。
でも相続でもなんでもええから、とにかく”お金”を持っていれば世間は勝ち組みと見る。
無職でも相続で何十億円もお金を持っていて、フェラーリを乗り回し、白金の白亜の豪邸に住み、嫁ハンは世間でシロガネーゼと呼ばれ日々ショッピングし、ついでに雑誌の読者モデルなんかしたりして。。。。。
うちで嫁ハンが見ている”三浦りさ子”がでているようなこの手の雑誌をパラパラ見ると「なんじゃこりゃあ?」って感じだ。散見される記事のタイトルは”勝ち組みの奥様、お嬢様が白金でショッピングする時のお洋服選び”などというこじゃれたタイトルだ。
そう言うのを見ると全身ブランドで、ついでに子供までひらひらのついた洋服きて、ひどいのになると犬までブランド洋服着てたりする。そしてBMW7シリーズとかとかベンツE55とかで”軽井沢までドライブ!”なんて平気で載ってたりする。
世間では彼らを何故か”勝ち組み”と呼ぶのである。
つまり結局は”お金があるかどうか?”が勝ち組み、負け組みの尺度になっている。これってなんか変な話だ。
勝ち組の尺度がお金だから「お金でできないものはない。」などという発言も自称勝ち組みから出てくる。そして世間一般も「あの人はお金があるから勝ち組みだ。」って思うようだ。巷には”楽して金持ちになる。” ”楽しんで金持ちになる。”と言う金持ち本がずら~っと並ぶ。みんなお金だけがある勝ち組みになろうとしている。
どうも世の中が”金、かね、カネ。。。”ってなっているような気がする。金はあったほうがええのだが、なくても人生の勝ち組みっているんじゃないのかな~そういった話はメディアではどこにもない。
でもそういう勝ち組みは絶対にあるしいるとおもう。それにはまず”自分は世間で言われているような尺度は関係ない。決して自分は負け組みではない。”って思うべきであろう。仮に自分自身の価値観が”金”であったならば、自分自身を判断する尺度も”金”に縛られる。
「俺、金ないから負け組みだな~」って自分自身勝手に思う。世間一般の”勝ち組み、負け組み”なんて所詮マスコミが勝手に基準つくって騒いでいるだけなんだから、ほっとけばええのである。
自分のやっていることに自信と誇りがあればええのである。
勝手に”勝ち組みってのはこうで、負け組みってのはこうだ!”って決め付けるのはやめてほしい。
そうそう、今流行りの”負け犬”なんてのはその典型。
どこの誰かはわすれたけど、勝手に”勝ち犬、負け犬”なんてのを考えて本出して売れたもんだから、メディアが面白がって騒ぎ立て、”こういった人は勝ち犬でこういった人は負け犬”だって一般人が思うようにしむけているだけ。
勝手に決めんなよな~人のこと。いったい誰が負け組みなんだよお~俺はIT業界でもないし社長でもないし、フェラーリにも乗っていないけど、目指すもんが違うんだからそれでええんやあ!!って言いたい。
でもそう言うと”負け犬の遠吠え!”って世間には言われる。。。。。
もう勝手にしてくれって。。。。。。
2005年03月12日
規制と改善
株式分割、新株売買翌日にって記事が先日出ていた。良いも悪いもライブドアのおかげであろう。彼は法的には問題がないが、”なあなあ”の世界でやらないことになっていることをバンバンやり市場をかき乱す。それによって今までほったらかしになっていた、問題のある物事が整理され、改正されるのである。
1:100分割なんかもそうだし、市場外でのTOBなんかもそうだ。法的に問題がないのだからやってもええでしょ?と言う感じで使えるものはなんでも使う。それが既存の体制にメスを入れる。今回の新株売買だってライブドアのこの問題がなければ、いつまでもほったらかしであったわけで、”ライブドア VSフジテレビ”の話がメディアで取り上げられて騒がれれば騒がれるほど、いろいろな整備が整うのである。
ただ問題はいきすぎがあるかもしれないということだ。たとえば市場外、立会い外売買の規制などである。
空売り規制を考えればよくわかる。市場の下落が空売りのせいであるという一部の人の考えが、アップティックルールを生んだ。空売りは下値がたたけないのである。
そのおかげでなにが起こっているのか?空売りの人が下値をたたけないので、下げが悪質で長期化するリスクが出ている。具体的に見ると、たとえば5人の人がある銘柄に空売りをしようとしているとする。
①下値がたたけないので、オファーサイドで指値をする。
②それも5人がまとまって指値する。
③指値が厚くなることで、それ以外の投資家が現物で少しばかりの株数で下値をたた
く。
④買い方が売り指値の厚さをみて、買いがひっこむ
⑤少しばかりの売りで価格が下がる
⑥空売り筋が下がった価格をみてルールに従い、一斉に指値を下げる。
⑦それを見た投資家は現物でまた下値を売る。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。を繰り返す。
見ればわかるが、空売り筋はぜんぜん株が売れていないのである。売れないまま価格ばかりが下がる。それをみて買い方が引っ込む。値段は下がるが、売れないので需給は改善しないのである。つまり株価に戻りは期待できない。
一方下値がたたける場合はどうか?下値がたたけるので急激な下げになるが、売ってしまえば需給は改善する。空売りでのニューショートがたまり踏みがはいり、急激に株価が戻る展開もあるのである。
明らかにアップティックルールがないほうが市場には流動性もまし、ボラティリティも生まれる。ボラティリティのある市場は参加者も多く、結局株価にもプラスとなるのである。
確かに100円未満の株価の銘柄に空売りがいっせいにはいり、株価に企業がつぶされる場合もあろう、だったら100円未満になった銘柄にのみルールを適用すればいいのである。
市場にとって規制は少なければ少ないほどいい。今回の話で法整備が進むのはいいが、規制でガチガチにするのだけはやめてほしい。