人生の勝ち組、とは(2005年03月14日)
逆転劇の本質とは?という話を某誌に鈴木貴博氏が書いていた。なかなか興味深い話だったので、少し触れてみる。
彼はここ最近さまざまな局面でおこる意外な逆転に関して言及していた。勝ち組み、負け組みの逆転現象についてである。
負け組み、勝ち組みって言葉が最近反感を買っているという。その理由は
・人生に勝ち負けを持ち込む是非に対して
だけではなく
・かつて人生は勝ち負けだと考えていた人たちが反感を感じている。
のであって
・かつての負け組み、勝ち組みの立場が逆転してしまった、自分は負け組み
になってしまったのか?という現象が反感の影にある。
と言うてはるのだ。
かつての勝ち組みは地盤沈下した。(って言うている。)負け組みだと思っていた人や会社に立場を逆転され、かつてはライバルとさえ思っていなかった面々が今や勝ち組みと言われている。
勝ち組みって言う言葉への反感は、根底にそういった理由があるという。かつてのエリートは新興若手経営者に勝ち組みの座を奪われたって言うている。
今世間で勝ち組みって言われている人たちはどういった人たちなのだろうか?イメージを言えば
・若くしてITの世界で成功して何億~何百億円ものお金を自由に動かせる人(ホリエモン?)
・自ら事業をおこして成功した人
・単なるお金持ち(相続でもなんでもいい)
・人気芸能人やスポーツ選手といった有名人
など。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
これを見ると結局勝ち組みと称される理由は単に”お金をもっているか、持っていないか?”だけなんじゃないのかな?って個人的には感じる。
飛躍的に事業を拡大してたとしても、拡大期にありがちな資金ショートのような状況だったら、世間は勝ち組みとは見なさない。
でも相続でもなんでもええから、とにかく”お金”を持っていれば世間は勝ち組みと見る。
無職でも相続で何十億円もお金を持っていて、フェラーリを乗り回し、白金の白亜の豪邸に住み、嫁ハンは世間でシロガネーゼと呼ばれ日々ショッピングし、ついでに雑誌の読者モデルなんかしたりして。。。。。
うちで嫁ハンが見ている”三浦りさ子”がでているようなこの手の雑誌をパラパラ見ると「なんじゃこりゃあ?」って感じだ。散見される記事のタイトルは”勝ち組みの奥様、お嬢様が白金でショッピングする時のお洋服選び”などというこじゃれたタイトルだ。
そう言うのを見ると全身ブランドで、ついでに子供までひらひらのついた洋服きて、ひどいのになると犬までブランド洋服着てたりする。そしてBMW7シリーズとかとかベンツE55とかで”軽井沢までドライブ!”なんて平気で載ってたりする。
世間では彼らを何故か”勝ち組み”と呼ぶのである。
つまり結局は”お金があるかどうか?”が勝ち組み、負け組みの尺度になっている。これってなんか変な話だ。
勝ち組の尺度がお金だから「お金でできないものはない。」などという発言も自称勝ち組みから出てくる。そして世間一般も「あの人はお金があるから勝ち組みだ。」って思うようだ。巷には”楽して金持ちになる。” ”楽しんで金持ちになる。”と言う金持ち本がずら~っと並ぶ。みんなお金だけがある勝ち組みになろうとしている。
どうも世の中が”金、かね、カネ。。。”ってなっているような気がする。金はあったほうがええのだが、なくても人生の勝ち組みっているんじゃないのかな~そういった話はメディアではどこにもない。
でもそういう勝ち組みは絶対にあるしいるとおもう。それにはまず”自分は世間で言われているような尺度は関係ない。決して自分は負け組みではない。”って思うべきであろう。仮に自分自身の価値観が”金”であったならば、自分自身を判断する尺度も”金”に縛られる。
「俺、金ないから負け組みだな~」って自分自身勝手に思う。世間一般の”勝ち組み、負け組み”なんて所詮マスコミが勝手に基準つくって騒いでいるだけなんだから、ほっとけばええのである。
自分のやっていることに自信と誇りがあればええのである。
勝手に”勝ち組みってのはこうで、負け組みってのはこうだ!”って決め付けるのはやめてほしい。
そうそう、今流行りの”負け犬”なんてのはその典型。
どこの誰かはわすれたけど、勝手に”勝ち犬、負け犬”なんてのを考えて本出して売れたもんだから、メディアが面白がって騒ぎ立て、”こういった人は勝ち犬でこういった人は負け犬”だって一般人が思うようにしむけているだけ。
勝手に決めんなよな~人のこと。いったい誰が負け組みなんだよお~俺はIT業界でもないし社長でもないし、フェラーリにも乗っていないけど、目指すもんが違うんだからそれでええんやあ!!って言いたい。
でもそう言うと”負け犬の遠吠え!”って世間には言われる。。。。。
もう勝手にしてくれって。。。。。。