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場当たり対応(2011年05月14日)
どうも…また失われた時代の時間延長線に、突入しそうな雲行きです。原子力の問題は東電だけの問題でなく日本の産業界全般の問題で、如いては日本国民の生活水準の問題に起因していきます。経済は一つの現象から様々な広がりを持って、互いに影響し合って成り立っています。物事の事象は全てそうです。ある人が突然怒り出すのは、些細な切っ掛けかも知れませんが、それはあくまでも動機に過ぎず、その背後に様々な事象があり、心の中にストレスが蓄積されていたから起こる現象ですね。切っ掛けは些細なことですが…最後は重要な事故に発展する。この連鎖の輪が社会を構築しています。
東電の選択は市場原理主義者から考えれば、免責事項の当たるのが法の解釈でしょう。昭和29年かな? 詳しく歴史を知りませんが、原子力の平和利用を進めるのが国策とされてきました。その為に我が国は原子力発電を推進してきました。その一環で今回の原発の賠償法も作られ免責事項があるのでしょう。だから枝野官房長官と与謝野経済財政相が閣僚会議で激論を交わしたのです。しかし結果は枝野さんの主張通りに動いています。この選択は電力料金を上げ、産業の荒廃に繋がる選択です。更に今度は銀行にも債権放棄を迫ると言っています。仮にこの選択を採用するなら株主責任を問うことになります。そうしないと整合性がないです。株主責任を問わないで債権放棄? むしろ東電は倒産させた方がすっきりしますね。
もし株主責任を問えば、電力料金の値上げは抑えられるかもしれません。ただ債権放棄は一時的な銀行の損失に留まらない目に見えないマイナスの経済効果が生まれます。リーマンショック以降の金融危機で金融機関を痛めつけると、全体の経済損失が拡大することを学んでいる筈です。ハイパワーマネーの話ですね。貨幣乗数があり何倍も経済効果が生まれると言う話ですが、その逆の効果になりますね。米国は順調に回復しているようですが未だに入院状態なのです。何故ならGSEの問題など未解決な事象が山積みされています。
果たして枝野さんはそこまで考えているのかどうか…。唯でさえ銀行は不条理な選択を強いられてきました。不良債権処理を強行的にさせられ大手銀行が倒産する選択肢を迫られています。そうしてやっと立ち直ったばかりですね。そのツケを増資と言う形で市場に押し付けたのです。
もともとも発端は、間違った住専処理を決めた政治と、日銀総裁の間違った政策からです。最初の選択を間違ったので、後世にツケを押し付け悪化した病状を直すために、強制的な不良債権処理を実施しました。その副作用が過剰なコンプライアンス重視で、硬直化した社会構造に繋がっています。浜岡原発を止めるのが、どうの…と言うレベルではなく、民間企業の死活にかかる決定を押し付けるなら、要請ではなく命令にして補償すべきだと言っているのです。政治決断とは…そういうことですよ。私の目にはおかしな決定に移りますね。ただ復興特区構想は素晴らしいのです。
なにか前原さんのときも感じました。漁船の拿捕が日中間の政治問題になり戦争まで覚悟しての拿捕なのかどうか? パフォーマンスや自己主張なら、権力行使し相手が反論してきた段階で、いやいや相手の要求を飲めばこちらの意図は伝わりますね。ジャブならジャブを…。用意周到な戦略がなければ、思いつきの行き当たりばったりの政策実行は国力を低下させるだけですね。
3号のサラリーマン主婦年金問題も、官僚が苦肉の策としてどうにか辻褄を合わせた産物なのでしょうね。歪んだ産物が今また問題になりはじめています。国民の代弁者の政治家が無理な要求をするから、官僚は仕方なしに辻褄を合わせる為に創作したのですね。要するに妥協の産物です。そろそろしっかりした国家理念を考えて、整合性に合う選択をしなくてはなりません。米軍基地問題もそうですよ。安保条約を否定するなら徴兵制度を復活させ、軍隊を持たねばなりません。原子力をやめるなら代壊エネルギーはどうするのでしょう。その為に国民の可処分所得が減って良いのでしょうか? 世の中にうまい話はありません。安全・安心を求めるならコストがかかり、それを負担する覚悟がないと駄目なのですね。だから浜岡原発を止めるなら命令で補償をしなさいと言っているのです。東電の処理もそうですね。免責事項が法律にあり、それを無視するなら法令を改正しなくてはなりません。
国家運営は個人的な感情論で政策を決めるものではないですね。指揮官たるものは理念を守る為に私情を捨てる覚悟がないとなりません。場当たり的な政策運営は国力を削ぐばかりです。