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後ろ髪をしっかり掴め!(2014年02月22日)
どうやったら…株で儲けられるか?
一つは時間を味方に付けることだと思います。機関投資家に個人は基本的に勝てません。情報量や分析力が格段に違うからですね。だから金融の世界では当たり前の30%の壁を超えられず、上手く行ってもせいぜい10%を超えれば「御の字」なのです。ただ継続が出来ませんね。継続的に7%程度の利回りを確保できるなら、あなたは確実に、世界トップ水準のお金持ちになれます。50年も投資を続ければ使い切れないお金を残す計算になりますね。計算では100万円が2945万円になるようです。10年間100万円ずつ預金すれば、3億程度になりますね。欧州危機に揺れた2011年から2012年のイタリア国債の利回りは、7%を超えるビッグチャンスだったのですね。それなのに…日本国債を後生大事にたがえていたのですね。野村証券などは、「イタリア国債に投資しよう」と進言したファンドマネージャーを首にする始末です。
残念ながら、2006年当時、現場にいたカタル君も米国のバブルを見抜けませんでした。確か…あの年の正月は、カリブ海へ豪華な年末年始の旅行をしたのだと思います。夫婦で300万程度を旅行に費やしたように記憶しています。その時、一緒になった米国から来ていた医者の先生が、「女房が不動産で儲けたお金で遊びに来ている」と言って、バーで話していました。カタル君は英語が苦手なので、片言の会話なのですが…。「私は医者だが給料は少なく、女房は不動産で大儲けした」と言うのです。この話を聞いておきながら…、この会話を生かせなかったのですね。300万円の旅行代処の話ではありません。結果は40億円を失ったわけですから…。チャンスが来たら「後ろ髪を確りと掴め!」と言いますが…折角のチャンスを生かせなかった2006年の本当の話です。
カタルを拾ってくれた先輩の実話です。大御所さんの話ですね。ビスタの読者の人は原稿をおこしたので知っていると思いますが…
ある日、証券会社の店頭に、綺麗な女性がお金を持ってきて「これで株を買いたいのです。」と大御所さんの前に、やって来ました。彼は、いつもの調子で女性社員をからかって、お茶を飲んでいた時の話です。「お嬢さん、株なんて買わない方が良いですよ。」と諭したのですが…。どうしても…との事で、「それでは、松下なんかが良いでしょう。」と勧めると…「いえ、三光汽船と言う株を買いたいのです。」「えっ、あんな会社は、内容が悪いし、やめた方が良いですよ。」と反対したのですが…、どうしても三光汽船が良いと言うので、仕方なしに買ってあげたのです。
それから2週間ほどして、また例の美人が証券会社にやってきたのです。三光汽船の株価を見ると…僅かに値上がりしている程度の感じでした。今度は、かなりの大金を持参し、「これで三光汽船の株を買えるだけ買ってください」と言うのです。大御所さんは大丈夫かな? それとも、何処かのお金持ちのお嬢さんかな…と思ったそうですが…、前回の事もあり止めても無駄だと判断し、仕方なしに注文通り三光汽船の株を買いました。ところがそれから、数日後…あれよ、あれよと、いう間に三光汽船の株が上がっていくじゃありませんか…。
大御所さんは、良かったな。あの美人さんが儲かって…と、思っていたのです。それからしばらくして、そろそろ三光汽船も、だいぶ上がったし…売り場だな。と思っていた時に、三度、あの美人さんが、店頭にやって来て「信用取引」がしたいと言うのです。当時、信用取引はプロがやる制度で、いろんな信用取引開始審査基準があり、素人はなかなか出来なかったのですが…どうしても信用でも買いたいと言うので…。おかしいな…と口座を開設し株を信用で買った後、こっそりと…美人の後を付けたのです。尾行と言うやつです。
大きな豪華マンションの入り口に守衛が立っており、門番に会釈をして彼女はビルの中へ消えました。大御所さんは、玄関で警備する警備員に、「今、入って行かれたお嬢さんの顔を知っているのですが、何処で会った方か思い出せないのです。あの御嬢さんは、何処の人でしたっけ?」と、守衛の門番に語りかけると…「岡庭さんの秘書の方ですよ。」と応えました。「あぁ、そうだった。岡庭さんと面談した時に、あった人だ。ありがとう。」とその場を立ち去りました。ここで大御所さんは、その美人秘書を食事に誘い、口説いて親密な仲になります。
当時の三光汽船は、仕手株の大相場の最中にありました。みんな「空売り」を仕掛けていました。大御所さんの勤めている証券会社でも買い方は、大御所さんただ一人、他はみんな「空売り」です。大御所さんは、お客さんに「大丈夫ですよ。三光汽船は上がりますよ。」とセールスをする始末です。本人もかなりの株数を買っていました。空売り筋は総ヤラレ、買い方は大御所さんただ一人です。社長が大御所さんのところに来て、「大御所君、何か知っているのかね?」と聞く訳です。でも大御所さんは、岡庭さんの秘書の話など…の裏話は出来ないのです。その当時は大規模の公募増資が控えていましたからね。今ではインサイダー事件です。
大御所さんと社長の阿吽の会話は続き、大御所さんは「まだまだ上がります。」と断言します。社長はその話を聞いて、株式部長を呼び、店内にある空売り株数を、そっくり寄り付きで買い向かえ!と指示します。株式部長は大丈夫かな…と思いましたが、社長命令ですから、仕方なしに三光汽船の店内の空売り株数を計算し、その株数に見合う買い注文を翌日の寄り付きに入れます。勿論、翌日は買い気配スタートです。そうして、その日は、とうとうストップ高します。そうして社長は空売りをしている歩合セールスから社員まで全部を呼び、寄り付きで買ってある三光汽船を安値で分けるからお客様に連絡し踏んでもらえ!と反対売買の指示を出します。中には強情にも、踏まないお客様も居ましたが…大半は安値で三光汽船を買えるので、空売りを踏むわけです。
当時、このような「はな買い」は一般的でした。今では違法で絶対に出来ませんが、このような「仕切り売買」を、カタルは営業マン時代に、成績達成の為にやったことがあります。かなり端を折った内容ですが、大御所さんは、公募増資の内幕も知っていたようです。なにしろ、当時、三光汽船、副社長の岡庭さんの秘書の話ですからね。
たった一度のチャンスを生かした大御所さんの実話ですが…。この話には二つのポイントがありますね。一つは証券会社社長の「度量」です。今の社長ではなく先代の話ですよ。顧客の安全の為に、自らリスクを冒し反対売買をしたのですね。そうして顧客にその玉を分けた度量の大きさです。当時の三光汽船は人気株で、かなりの株数だったと思います。どの店も空売りの残が多くありました。結局、その大量買いが、市場で噂を呼び大幅高するのですが…。もう一つは大御所さんがそのチャンスを生かし、お客さんと言うお客様、すべてに三光汽船を買わせ、自分自身も大勝負をして株を買い儲けました。チャンスと言う「後ろ髪を確りと掴み」逃がさなかった実話です。その儲けで大御所さんは都内のマンションを買い更に…。
実は兜町には、お金が絡むだけに、いろんな嘘のようなホントの実話がたくさん眠っています。いまでも時代は大きく変わりましたが、人間の本質は変わりませんからね。外資系ファンドは好き放題の悪事を働いています。先物を利用した乱高下の相場を見ると…なんだか日本人は、馬鹿にされているような感じですね。株の上げ下げは、色んな形で訪れます。一般の人は高値で株を買って損をしていると、買う事を忘れ売る事ばかり考えます。こんな馬鹿高値で買わなければ良かったと悔いるわけです。でも株価が下がるという事は「最大の好材料」なのですね。業績が悪化すると言う悪材料を、上回る好材料の場合もあるのです。その見極めが、このような相場環境の中では問われているのです。チャンスを生かせるのか、活かせないかは…、それぞれの人が持った運が大きく影響を及ぼします。
1971年から1974年にかけて三光汽船は公募増資の形で、市場から912億円の資金を4回に分けて調達します。460円、660円、690円、880円と…そうして最後には市場から消えてなくなりましたが、市場には、色んなマジックがあるのです。