今日は雑談を…。カタルは1989年のバブルの絶頂期にサラリーマン生活を辞め、歩合給のセールスになりました。10年間の実務経験が資格を得る為に必要だったのです。運転手つきのベンツを乗り回し、毎晩、豪遊する先輩の証券マンの当時の年収は数億円、彼の月間株式手数料は1億円を超えていました。勿論、僕らの世界では一流域です。顧客は日本を代表する創業者達でした。彼をめざし上京しましたが…バブル崩壊のみならず、失政の連続で、失われた時代に入りました。当然、カタルは失敗の連続などと言う言葉では、言い表せない経験をしてきました。その為に日本の問題点を考えるようになったのですね。ようやく黒田総裁や安倍政権のまともな主導者が誕生していますが…日本は瀕死の重症と言うイメージです。円安なのに国内回帰が遅れているのは、きっと今までの疑心暗鬼もあるのでしょうが…日本の操業コストが高いのでしょう。
本日の日経新聞に、予てから述べているROE経営の話が一面に載っていますが…でも書き方は年金資金を呼び込むためとか…投資家が求めている為と、述べられていますね。でも元は違うのですね。少子高齢化を迎え、日本は手を広げるユトリがありません。労働生産性を上げ、高い一人あたりのGDPを得るためには、高付加価値の仕事を手掛けなくてはなりませんね。その為の教育も必要です。だから英語よりも基礎的な能力を育てる道徳概念が、一番、大切ですね。向上心は学校を卒業してからも必要です。優秀な人間は、会社から帰り、最新の技術の習得に時間を費やします。東大法科を卒業し、良い会社に入りノホホンなんて…みんな脱落者です。カタルの周りのその様な人間は、皆、リストラで消えました。優秀な人間は、ほんの一握りです。だから二極化が進むのは、当然の帰結ですね。
話しが逸れるので…ROE経営を実行すると、社会はどう変化するか? 利益率の低い仕事を排除することに成るのです。少子高齢化の日本に相応しいのです。何故、失われた時代が続くのか? 「りそな」救済の様に…村論理を掲げ助けるから、駄目なのですね。護送船団方式と言う銀行経営を指導した大蔵省政策の敗北です。指揮官が時代の変化を見極めることが出来ませんでした。その為に右往左往したのが1990年代です。その混乱の中で阪神大震災、サリンなどの事件が、20年前に起きました。企業は日産マーチの時代に日本を見限り、グローバル化を急ぎました。でも村論理の為、後発組だったのです。中国と比較すると良く分かります。
ベルリンの壁崩壊と並ぶ天安門事件、この時代の境で、鄧小平は南巡講話を説き、グローバル化に走りましたね。一方日本は、日本空港ビル事件での政治家発言や、ブルドック事件の最高裁の判決など…。村論理を掲げガラパゴス化して、猫の様に小さく丸まっていました。しかしIAS(国際会計基準)やBIS規制、銀行の自己資本規制など…の国際ルールが実施され、変わらざる得なかったのです。でも今でも沖縄選挙に続き、佐賀県知事選で表面化したJAの存在などの村論理は根強く、支持を受けています。
今日の記事を読むと…、本当に日経新聞の記者は、本質を理解しているのかどうか疑わしいですね。村論理に反しますが、捨てる勇気が必要なのですね。新陳代謝しないとならないのです。ライブドアを色眼鏡で見るのではなく…行動を糺し育てる勇気が、必要だったのですね。それをフジテレビの日枝さんなどが中心になり、彼を批判する社会を作って来ました。だから米国のアップルやグーグルなど…の進化に遅れるのです。
ROE経営とは、利益率を基準に、産業の変化を促進させるアイテムなのです。だから少子高齢化が進み労働者不足の日本に、どうしても必要な基準なのですね。資本を過大に自分達の地位保全の為に、貯めこむ経営は村論理そのものです。ROE経営を進化させると、人類の進化に繋がります。どうしてか? 利益率が5%、10%の産業を捨て、20%、30%の新規産業を育てるからです。宇宙開発やクラウドサービスなどの競争相手が居ない新規産業に特化しないと、ROEを伸ばす事が出来なくなるからです。先ずは、日本国自身が手本を民間に示し、外貨準備にある膨大な米国債を売却して、日本国債の償還に充てるべきです。借り換えではなく…総資産を圧縮させましょう。
今、世界はベルリンの壁崩壊から始まった、新興国中心の市場化現象が終焉を迎え、今度は、先進国が中心となる産業革命のようなルネサス期を促進させる順番ですね。携帯端末を利用したサービスはドンドン変化を迎え、古い産業が消えますね。アイディア勝負の時代です。ゲームはある意味で象徴的な現象でしょう。販路も必要ないですね。物流は全て移管できます。製造もそうです。日本の半導体産業の中心だったNECの凋落は、この基本的な考え方が出来ていませんでした。だから台湾のTSMCやフォックスコンなどの後発組の、後塵を拝するようになったのです。EMS(受託生産)は、早くから言われていました。ソニーもそうですね。
わが国はベルリンの壁崩壊に始まったグローバル論理に負けたのです。故に20年以上も失われた時代を過ごしたのです。時代はスマート・コミュニティーなのですね。手術ロボットのダヴィンチが、何故、米国発なのでしょう。オリンパスは、ある意味で金融庁などの厳格な清貧思想の「とばっちり」を受け、経営者の判断ミスもありますが…時代の先陣を切れませんでしたね。社会構成が保守的な態度を増長させたのです。時代を切り拓くにはバブルのような社会の「寛容さ」が必要になります。希望とは、この「寛容さ」の事ですね。マックの異物混入騒動など…、日本の清貧思想は、選挙結果同様に、根強い支持があります。
世界は、フランスのテロ、シャルリ―・エブドの「表現の自由」を擁護していますが…、しかしカタルの考え方は、少し違います。やくみちるさんが、今回の事件の発端である風刺画について、次のように語っていました。「社会から批判を受けない程度のマンガが、風刺画だ」と述べていましたね。(コンチクショウ、批判されたが、そういう面もあるし、まぁ、仕方がない。)と、批判された当の本人達は、気に食わないが、しかたがない…と納得するのが、批判マンガ(風刺画)の「節度」だと述べていました。「この価値観に…、かたるは、なるほどなぁ~」と感心した次第です。メディアは横暴ですからね。ある意味で表現の自由などと擁護しますが…、やはり節度と言うものが、あるのかもしれません。安倍さん、慰安婦問題も、同様の価値観なのかも…知れませんね。基準は真実ではなく、相手の気持ちなのかもしれません。
基本的に、失われた時代を増長したのは…メディアの責任なのです。感度をもっと上げてくださいね。今日は雑談を掲げましたので…本文に言及する余白がありませんが、一つのグラフを掲げておきます。日本の生保などが米国債中心に外債投資をしているから、このような利回り変化になっているのでしょうが…、明らかに、おかしな現象ですね。カタルは先ほど、今の時代は、SFのようなスマート・コミュニティーの進化が見えるようになる産業革命のようなルネサス時代だと述べました。ナスダックの新高値更新が、その火蓋を切るように思っています。果たしてカタルの予測が正しいかどうか…。今日は米国債利回り推移をみて…皆さんも考えてくださいね。それでは、また明日。